<上京~デビュー>
1976年上京。下北沢あたりをテリトリーとし、ライブハウス・ロフトを遊び 場とするうち、ロフトがレーベルを立ち上げる事となり、そのVol.1アルバムのメンバーに選ばれる。(このアルバムに関しては別記)
1979年、CBSソニーより、「KAORU」として、アルバム「Just my feeling」でソロデビュー。金子マリ&バックスバニーのメンバー等のサポートを得て、都内でライブ活動。翌年、 シングル「横浜バンドホテル」をリリース。
桃井かおりのガイドヴォーカル(「バイバイ・ララバイ」のヒットに繋がる)、桑名正博(「セクシャル・バイオレット」時代)、尾崎亜美、中島みゆきのツアーメンバーとして、また数多くのアーティストのレコーディングにコーラスとして参加。日本の音楽産業界に、コーラスの重要性を吹き込むきっかけとなる。
(桑名正博のサポートを供にしたのは亀淵由香、金子マリ。尾崎亜美のサポートは杉田優子と。)
<隠遁期>
しかし、所属事務所の解散や、悪徳プロデューサーによる詐欺搾取等の不運に見舞われ、十数年の長期に渡る隠遁生活を余儀なくされる。
自身はこの時期を、第1期修業期間と考える。
<脱出>
修業期間末期。神戸市内にて阪神大震災に遭遇。被災者として神戸市内で踏ん張るが、限界。脱出を決意。
<PTSD>
福岡市内に移住。社会復帰、リハビリの地としてこの地を選択した訳だが、社会との摩擦をひしひしと感じる日々。
自身の認識以上に重度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)なのか?
第2期修業期間とも言える葛藤の3年間。
<再び上京>
長年ご無沙汰のミュージシャン仲間もみんな暖かく迎えてくれ、感無量の中での再出発。
「現在置かれている環境の中で最大限の喜びを見いだそう!」というのが無意識下での独自のポリシー。
そんな超ポジティブ思考のせいか、浦島太郎現象も乗り越え、みごとに音楽業界復帰!\(^O^)/